ぼくらの 第11話
「命」
今度は、モジ。
僕の心臓を友達に移植してほしい。
死ぬ前に病院へ僕を転送してほしい。
モジには孤児院で一緒に育ったナギとツバサという親友が。
ナギが突発性心筋症で入院。
心臓移植以外助かるみこみはないと言われていた。1年前に発病して余命1年。
偶然検査してもらったら、自分の心臓がナギにフルマッチだった。
ところで、今の日本で14才だとドナーになれないんじゃなかったっけ?
ナギはツバサが好き。ツバサも多分ナギが好き。
なら、二人が助かるなら迷いはない。
またも、知らない場所が舞台となった。
敵は2体に分かれて攻撃してくる。だが急所は一つ。
ジアースの急所をさらして、敵の出方をみるモジ。
その動きから急所のあるほうを見破り、一撃で貫いた。
これで、
「敵は単なる機械じゃない心を持っている」ことをみんなに教えるモジ。
そして、ナギの移植手術が始まった。
敵も誰かの為に戦っている?
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コメント
はじめまして。
「RSD友の会」というブログを書いている「TOM」と申します。
今日も、無事に目が覚めました。素直に感謝です。
私は、今、必死に、もがきながら「生」を求めて、這いつくばっています。
私は、クリスチャンではありません。
しかし、「聖書」が、実は、いつも手元にあり、今まで2回の大学病院への入院でのつらい病状・治療・検査などの時の私の支えになってきました。聖書の、さまざまな章句を思い出しては、恐怖感を奮い立たせて臨んだ、苦しい検査もありました。これからも、きっとそうやって、怖い気持ちを乗り越えながら、検査を受けにいくのでしょうね・・・。
今まで、入院した時、多くの、あまりにも厳しい状況の患者さんを目の当たりにして、(向こうから見れば、私がそう見えたのかもしれませんが・・・)、かける言葉を失ったことが一度や二度ではありません。
私は、他の患者さんから見ると、もしかしたら話しかけやすかったのかもしれません。
よく、何人かの、隣のベッドの患者さんに、夜中などに、小声で、「ねえ、TOMさん、起きてる?TOMさん、俺さぁ・・・・死ぬのがこわくて眠れないよ・・・・」と涙ながらに訴えられたことが何度かありました。それは、若い方でも、年配のかたでも、ありました。「死」は、老若男女問わず、等しく同じ恐怖のようです。
特に、いつ、突然死してしまうのかわからない状況にある方が、何人か隣のベッドになったことがありました。年下の若い方も、人生のベテランも、等しく恐怖は感じていました。若い患者さんが、夜中にいつまでも「死への恐怖」を私に訴えてきた時は、夜中の巡回の看護師さんも、少し多めにみて、ひそひそ話を見逃してくださったこともありました。
また、病気で、私と同世代で、思うように話せなくなった方が、いました。その方が、私に、紙に「自分が病気になって、いかに悔しい気持ちをしているのか」を、かきなぐって訴えたこともありました。頭の中での多くの言葉を伝えられないもどかしさ、人生を狂わせた病気・・・つらかったろうと思います。
「あとどのくらいです・・・」と、宣告された方の気持ちは、私は想像するしかありません。私は、鎮痛剤として「モルヒネ」を使っていますが、「余命には影響していない」と、いう説明を(少なくとも私は)聞いています。私には幼い娘たちもいます。まだまだ生きたい・・・・。いや、生きなければならないのです。
それほどまでに「元気に生きたい」と願っている私たちなのですが、なぜ、このような苦しみが存在するのか、疑問に感じざるを得ないことがあります。
今日も、目が覚めました。私には「まだ生きるように」との「自然」の命令なのでしょう。
この「生かされている重み」をかみしめながら、今日の苦痛を乗り越えたいと思います。
投稿: TOM | 2007年6月30日 08:09